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土佐藩と土佐稲荷神社

社務所 参集殿(平成21年12月竣工)

江戸時代、大阪の藩邸の多くは中ノ島にありましたが、土佐藩の藩邸と蔵屋敷は長堀川のほとりにありました。当時は土佐からの人や物資を載せた船が大阪湾から木津川を上り長堀橋まで入ってきていました。長堀川に架かる白髪橋、鰹座橋はこの土佐の商売に深く関わる名称です。白髪橋は土佐の白髪山から伐採した材木を荷降ろしした場所、鰹座橋は土佐の鰹節問屋の並んでいた場所でした。

この鰹座橋のそばに古くから神社が祀られていました。土佐藩6代目藩主、山内豊隆はこの神社を祟敬し、1710年、京都の伏見稲荷から蔵屋敷のなかに土佐稲荷神社として勧請しました。ここから土佐藩邸、蔵屋敷の守護神として崇められるようになり、山内家は参勤の際には必ず立ち寄り敬意を表し、その後の造営修復は何れも藩費をもって奉納していました。

境内東参道には、土佐藩第8代藩主 山内豊敷(とよのぶ)寄進の石灯籠一対が今も残っています。

岩崎彌太郎

岩崎彌之助寄進の青銅狛犬

明治2年、岩崎彌太郎が大阪商会(土佐藩開成館大阪出張所)の責任者として赴任。翌年には土佐藩の少参事、大阪藩邸の責任者となりました。当時の藩邸や蔵屋敷は、商人からの借入金の担保にとられた状況でした。

明治政府の藩営事業禁止令に先立ち、私商社 九十九商会が創立され、彌太郎がこれを監督することとなりました。彌太郎は事業と共に藩邸や蔵屋敷を譲り受け借入金も返済。土佐稲荷神社は土佐藩の守護神から商会の守護神として引き継がれました。
その後、商会が三菱商会と名を変え、本社を東京に移して敷地を大阪市に譲渡した際も、彌太郎は土佐稲荷神社だけは手放すことはありませんでした。

土佐稲荷神社には彌太郎の弟の岩崎彌之助が寄進した青銅の狛犬があり、その台座には彼の銘文が刻まれています。

狛犬の台座の銘文

狛犬の台座の銘文

予が宗家の別邸浪華に在り。もとは土佐候に係る。別邸の内に稲荷社有りて相伝う。
神徳威霊祈祷すれば必ず験有り、其名府下に轟く。萱堂(わが母)常に之を崇奉す。年を閲するの久しき、
祠堂朽壊せり。因って之を新ためんと欲す。胞兄弥太郎君、乃ち経営する所ありしも、未だ果さずして没せり。
予、其遺志を継ぎて、之を改築せり。神徳威霊を加うるを覚ゆ。是に於て、遠近より来り賽するもの日に盛んに月に庶し。
頃、萱堂物を献ぜんと欲す。因って予が藏する所の銅製古狛二きを献じて、其の志を慰むと云う。

明治二十六年二月 正四位 岩崎彌之助謹識

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