トップ > 土佐稲荷神社概要
宇賀(宇迦)には「食」の意味があり、食料を司るとされ、こと穀物、農業の生産豊穣を守護する神様です。
また、豊受毘売神(読み方)とも同神といわれており、国の発展に大切な農産守護神であると同時に、すべての生成産業、殖産興業活動の神として、全国的に崇められるようになりました。
古くは生、成、産、業の字を『日本書紀』『萬葉集』などでは、ナリと読ませていることから、イナリとは『稲生』の意味とも言われています。
江戸時代、土佐藩の大阪蔵屋敷に隣接する長堀川(現在の長堀通)鰹座橋のほとりに神社が祀られていました。
この神社に土佐藩第6代藩主、山内豊隆が、京都の伏見稲荷から稲荷大神を観請し、土佐稲荷神社としました。
以来、土佐藩邸、蔵屋敷の守護神として崇められ、山内家は参勤の際には必ず立ち寄り参拝するようになりました。
明治になって、廃藩置県後、藩営事業を継承した岩崎彌太郎がこの地を取得した後も、三菱の守護神として崇められました。
その後、郷社に列せられ広く「土佐稲荷」の呼称で親しまれるようになりました。
江戸時代の観光案内書ともされる『摂津名所図会大成』には、
稲荷神祠(いなりのやしろ) あみだ池の西土佐蔵屋敷の内にあり鎮守のいなりの神なり 近来社頭に桜を多く植えつらねてより花のころに一しほに参拝羣(ぐん)をなせり 土佐御蔵屋敷の鎮守なり相殿に祭るところ玉柏明神磐根明神といふ
というくだりがあり、当時から桜の名所として親しまれていたことがうかがえます。
土佐稲荷神社境内には以下の末社があります。石宮社は海上安全の守護神として、
また、若宮社は諸芸上達、合格祈願、縁結びに参詣する人が多くいます。
- 石宮神社
- 若宮神社
- 源八社
- 大黒社
- 玉根社
- 磐居社